フーゼスターン
フーゼスターン州は首都をスーサにおいた古代エラムの地として歴史に登場する。イラン人はこの地を以前からエラムと呼んでいた。古代ペルシア語ではエラムは「フーズィヤー」であるが、これが現在のフーゼスターンの語源である。フーゼスターンはイランでもっとも歴史の深い地域である。アーリア人が流入後、最初に定住してエラム人と混淆した場所であるため、イラン人には「イラン揺籃の地」として言及されることがある。
シューシュタル
この名前は、アケメネス朝の首都であったスーサにも関連しており、スーサよりも立派な都市を意味する。
サーサーン朝時代になると、シューシュタルはカルン川(en)に浮かぶ中州となり、サーサーン朝における夏の首都に選ばれた。カルン川は、シューシュタルを囲む堀の役割を果たし、東・西・南の三方にシューシュタルの町へ渡ることが可能な橋がかけられた。シューシュタルのそばを流れる幾筋の河川がシューシュタル周辺の農業の発展に貢献した。そこでは、サトウキビや主要農産物が生産された。
サーサーン朝のシャーであるシャープール1世は、ローマ帝国皇帝ウァレリアヌスを打ち破った際に、ローマ捕虜を用いて、カエサルの橋と呼ばれる550mの長さに及ぶ巨大な橋梁・ダムを建設させている。
イラン・フーゼスターン州に作った複合遺跡である。
エラム王国のジッグラト(階段ピラミッド)、世界遺産として知られています。
チョガ・ザンビールは古代エラム人が、現在のイラン・フーゼスターン週に作った複合遺跡です。1979年に、ユネスコの世界遺産に登録されています。1935年で油田調査中に偶然に発見されました。
チョガ・ザンビールは、紀元前1250年ごろに、エラム国の王ウンタッシュガルはシューシュを行政の中心に定める一方、宗教的中心地としてここにジッグラトを建設しました。真ん中にそびえるジッグラドを中心に、三つの壁がありました。最内側の囲壁は、一辺が105メートル四方のジッグラトを囲んでいました。さらにその外側には、神殿や礼拝堂などの宗教的施設があり、二番目の壁が囲んでいました。そして、その外側の一般の人々が住んでいた市街部を囲むために、直径にして約4キロの3番目の市壁があり、外敵に備えていました。現在はこれらの囲壁・市壁の名残を見ることが出来ます。